円光大師像と法然堂

円光大師像
円光大師(法然上人)像
(東京都港区登録文化財)

円光大師 東都二十五霊場 第一番

円光大師(法然上人)像は、法然上人の御直作で、熊谷直実公の念持仏と伝えられています。真理を求める鋭い相貌の中に、おおらかな暖かさが感ぜられる気高い御像です。

『三縁山志』によると、高野山に祀られていたこの像が当院に伝来。この像をお祀りしていたため、安永三年(1774)東国に大師遺跡が移り定められたときに、当院を二十五拝所第一番として、美作国(岡山県)誕生寺を模して定めた、としています。

この円光大師像をお祀りしているのが、法然堂です。寺院ならではの落ち着いた内装に加え、多目的ホールとしての映像・音響・展示の最新設備も装備され、地域の新しい拠点として、またお檀家の集会や催しに活用いただけます。開かれた寺院をめざす当院の核となる施設です。

法然堂 / 浄土門主 坪井俊映大僧正揮毫
円光大師東都二十五霊場 第一番 石柱

災除地蔵尊

災除地蔵尊

江戸南方四十八所地蔵尊参 第二十七番

開創当時から境内に地蔵堂があり、木造寄木造六金箔置の大地蔵尊坐像が安置されていました。相貌は崇高な中にも温容慈光が参詣者の心を打ち、延命子育・利益広大と言い伝えられてきました。

のち、「江戸南方四十八所地蔵尊参」(寛永六年(1794)撰)の第二十七番に列せられ、多くの参拝者でにぎわいました。昭和二十年(1945)の東京大空襲で消失しましたか、惜しむ声多く、唯一残った守護札版木をもととして石像で再建され霊験あらたかと親しまれています。

一切経を伝える経蔵

<非公開>
妙定院伝来の経典(明蔵)は天明二年(1782)建立の経蔵にて、永く保管されてきましたが、昭和四十二年(1967)の前面道路拡幅の際に、頂の宝珠のみを残し、惜しまれながら下解体されました。現在、経典は、書院内の最新の空調管理技術を備えた新経蔵に収蔵、宝珠は「宝珠之塔」に祀られています。

江戸期伝来の経蔵(解体前に撮影)
現在の経蔵内部
経蔵の記憶として残された宝珠之塔[宝珠は1782年、石積は江戸時代後期]
定月大僧正百回忌 1870年制作の仏足石

阿弥陀如来の慈光に満ちた本堂

阿弥陀如来

二十一世紀の都心に、純木造の伝統的寺院建築が成就しました。耐震に配慮しながら、和の様式を伝える、檜造りの本堂と山門は境内の要です。本堂が大本山増上寺の方向に向かい、境内前庭を介して東に書院へと連続する江戸期の妙定院伽藍配置も蘇りました。

本堂内部全景
妙定院山門と1779年築造で移築した練塀

開創の心を伝える本堂は、消新な東濃檜材で構成された七間四方の空間です。豪快な直径の四天柱と、強靱で太い梁や長押、新工法の耐力板壁が広々とした殿堂を実現させました。何十年、何百年と継承できるように、釘を使わない、伝統的な継ぎ手・仕口を用いた大工技術で造り上げられています。

伝来のご本尊は、安阿弥(快慶)の作と伝えられる、稀少な「裳かけ阿弥陀如来像」で、騒がしい現代に気持ちの落ち着き、安らぎを与えてくださいます。

熊野堂と浄土蔵(国登録有形文化財)

〈妙定院展開催時に二棟を隔年で内部公開〉

国登録有形文化財

土蔵造りの熊野堂(くまのどう)は寛政八年(1796)に妙定院の鎮守として建立されました。熊野三社大権現を祀っています。上土蔵(かみどぞう)は文化八年(1811)建立で、妙定院の収蔵品を守り続けてきました。二棟は戦災を免れ、創建期以来の江戸の記憶を伝える建造物として、平成十三年に国の登録有形文化財となりました。近代工法では再現できない技法と意匠を伝承するものと評価されています。

熊野堂(くまのどう)
浄土蔵(じょうどぞう)
熊野堂内部
浄土蔵内部

熊野堂は開山定月上人から、第二世仰願上人、第三世宝観上人へと建立の願いが連綿と受け継がれた瞑想空間として、江戸期の姿に復元されました。

また上土蔵は妙定院古記録より判明した意匠を採用するとともに、第十三世貞賢上人ゆかりの昭和本堂の建築彫刻と須弥壇を内部に移設しました。増上寺八十七世成田有恒大僧正により「浄土蔵」(じょうどぞう)と揮毫され、伝来の仏像・彫刻を展示する空間として再生されています。

月影園と書院

〈非公開〉

月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすむ法然上人

開山上人の定月大僧正は、妙定院に入られてからの晩年、幽水閑雅なこの地に築山庭園を作庭し、人々と念仏経行散策をなさいました。後に「月影園」(つきかげえん)と名付けられ、海外使節のための園遊会なども催された名園です。

月影園
「阿弥陀二十五菩薩来迎図」の様相を表現した鑑賞式庭園で、三尊石を頂点とする石の築山と、杉苔の平庭との対比は、「彼岸」と「此岸」という仏教の教えを示しています。
吉祥室
花深・多寿・多福の間

古来より妙定院にあった築山と、優れた庭石や木々を生かすことで伝統を継承し、他の庭園にはない独自のしつらいも創り出されました。東京の中心地とは思えない、静謐で独特な雰囲気を伝えています。

棟方志功による板絵の画題を室名とした檀信徒控室は、閑静な名園・月影園と一体化した空間です。
開山以来の室名を継承した和室「吉祥室」では庭園の四季を望みながら、写経会や茶会も催されます。